10 春秋杯

7月6日に法政大学で行われた第44回春秋杯弁論大会に参加してきました。

今回は事前に原稿をこの場で公開することをしなかったことに関してはお許しください…

色々と事情がありました。

 

さて、何はともあれ五月祭の時に引き続き弁論動画を公開しようと思います。

自分としては黒歴史と言いますか、反省点がとても多く、人に見せられるようなものではないのですが、とはいえ公開すると言ってしまった手前、公開(後悔)します。

drive.google.com

 

以下の文章は弁論動画を見た後がおすすめです。

 

さて、今回の春秋杯での弁論は、五月祭と比べて大きく3点の差異があります。

 

動画を見てもらえればわかりますが、1つ目は原稿を持ち込まずに話すこと。

いくら練習したとしても、ひとたび演台に立てば緊張し、言葉がうまく出てこないものです。そんな中、原稿を持ち込んでしまうとどうしてもそれに頼ってしまう自分がいるのです。用意された原稿を「読む」ことを前提とした弁論では、その日の大会の雰囲気に合わせることや、聴衆の様子に合わせることが困難であり、ましてや弁論中のヤジに対して果敢に応答することなどできません。事前に用意された原稿をただ読むことは、自分にとって「死んだ弁論」なのです。

かねてより、野次を取り入れて弁論していくスタイルの存在に関しては耳にしていましたし、自分としてもそうした弁論をやってみたいと考えた中で、あえて原稿を持ち込まずに自分を追い込むことで、野次をも素材にした弁論の体をなんとか保てたのかなと考えています。自分はこうした弁論を「生きた弁論」と言っています。

今後も積極的に原稿を持たずに演台に立つことを考えていますが、今回の反省点としては、①もっと構成はしっかりとあった方が良いということ、②一貫性を維持するために聞こえが良く汎用性の高い単語をフレーズ単位で記憶して散りばめること、③野次等への応答に使う時間をきちんと把握して時間管理をすること。その他色々とありますが、とりあえず次回はこの3点は確実に反映していきたいですね。

 

次に2点目の差異。

これは、この弁論が聴衆にとって新規ではないことを前提としている、という点です。

弁論大会においては基本的に同じ弁士が同じテーマで話すことはまずありません。明確な規定があるかはわかりませんが、たいていの弁士にとってテーマは大会ごとに使い捨てであり、同じテーマで2大会連続で出る弁士はまず知りません。

今回の弁論はTwitter等々で情報を事前に発信していたこともありますが、それ以前に五月祭で同じようなテーマで話したことを弁論中でも述べていますし、それらを前提として話すという試みは大学弁論界ではまずないことではないでしょうか。

本番まで弁論原稿の内容をひた隠しにする方も多くいますし、そういった意味では特に意味があるかはおいておいて、差異と言えるのではないでしょうか。

 

最期に3点目の差異。

これは、弁論内に自分より前の弁士の弁論についての言及がある、という点です。

これは特に原稿を持たない弁士にしかできない方法だと思います。多くの聴衆や審査員にとって、弁士との共通の話題は(「弁論」を除けば)自分より前の弁士の弁論内容だけと言って良いでしょう。これをうまく活用できれば聴衆や審査員をより引き込むことができるのではないかと考えています。

とはいえ、動画を見られた方はわかると思いますが、今回の自分は見事に失敗しているので、反面教師にでもしてください。

 

 

 

とまぁ、とりあえずこんな感じです。

この弁論がどのような評価を受けたのか、という点に関しても随時公開していくので少々お待ちください。

 

この弁論に関して何かコメントや質問等ありましたらこのブログにコメントするなり、Twitterの質問箱やDM、リプライなどでお願いします。