5 添削練習 

弁論活動には添削という行為がつきものです。

新入生を迎えるにあたって、添削の練習や、自分の添削を添削してもらう機会があればなぁと考えていたところ、友人のTempan氏が許可してくれたので、Tempan氏の原稿を自分なりに添削してみようかなと。

以降は、以下のリンク先のTempan氏の日吉杯最終稿を添削していくので、まずはこちらを読むことをお勧めします。

(添削というより批評になってしまっているが、何かコメントある方は遠慮なくどうぞ)

tempan.hateblo.jp

 

導入に関しては特に問題なし。

 

投票しても元に戻ってしまう、というところに関しては弁士の言いたいフレーズだろうという想像ができるが、一方で、例示されていたものを考えると、落選した候補者Bに投票していた人からすれば、元に戻ってしまう、という表現は可能だとは思うが、候補者Aに投票している人からすればこの時点で元に戻っていないだろうと言えるでしょう。

ここで既に、弁士が考える選挙に行かないロジックでは説明ができない動きがでてきてしまっているのは構造上の問題かと。

 

結局のところ、この段階で弁士が問題視していると聴衆が考えるのは、いわゆる「死票」(落選した候補者に投票された票)の存在が選挙に行かない理由だ、となってしまっている可能性がある。

恐らく弁士が問題視している問題意識と聴衆との間で認識のずれが生じてしまう原因の1つかと。

 

そして、この誤解は原稿中にある「死に票」という弁士独自の表現によってさらなる混乱を招いていると考えられます。

原稿内での「死に票」は「死票」と明確に区別されており、私の理解としては、小選挙区選挙において、対立候補の得票を上回って当選するために必要な票数を超える分の票、言い換えれば、結果論、当選には必要なかったあまりの票、という認識かなと。

 

まず、この概念を認識させるうえで、この票を「死に票」と表現するのはかなりまずい。「死票」との区別を聞き取ることも難しく、この場合は「あまり票」などと表現を変える工夫が必要です。

 

さて、弁士はここから「死に票」の解消を目指すべく新しい選挙制度を提案していくとしているのだが、この時点で「死票」の話が完全に失われてしまっている。

導入から「死票」の話を経由して「死に票」の話をしていた弁士にとって、「死票」の問題点を回収せずに話が進行することはやはり構造上の問題と言わざるを得ない。

 

それはともかく、「死に票」を解消するプランについて見ていく。

弁士は得票数を国会での票数として反映させることで解決しようとしています。

このプランについては弁士の強い思い入れが感じられるため、大幅な変更を前提とした添削はすべきでないと判断します。

しかし、この時点で票数が加算されることが大きな意味を持つのかという疑問がどうしても残ります。ここについては後述します。

 

議員視点の話を見ると、議員がさらなる力を求めるために少数意見を取り入れるインセンティブがあるとしているが、これはかなり怪しい。

そもそも、議員個人がたとえ問題解決したところで、それを有権者が認識し、その議員に投票するのか。問題解決されればまた次の問題を解決しろと騒ぐのが有権者であり、特定の争点に対してだけで投票しているのか、などの分析がないままに進んでいるので、要改善かなと。

 

そして、修正案として全国区と成り議員代なるものの導入。

全国区に関してはそれ自体は問題ないものの、小選挙区と全国区、手法の違う選挙制度があることの意義を問われたときの応答は事前に用意しなければならない。

 

成り議員代という制度は、大きく2つ問題点を抱えています。

1、この制度が「死票」の発生源になる。

2、議員数の予測が全くつかない。

 

まず、成り議員代が事実上の議員になるために必要な票数になり、落選する候補者が出ます。このボーダーラインを何票にするのかを原稿で示さないと、そもそもプラン導入後の世界が全く想像できません。このラインは弁士に聞かなければなりませんし、その数字の根拠も示す必要があるでしょう。

また、少数派の意見を議員自らが取り入れるという話が不透明であるため、少数意見の代表者が直接議員になる機会を確実にするためには、極論を言えばボーダーを設定しない方が望ましいとも考えられるので、要検討かと。

 

一方で、こうした背景には原稿中にもあるように議員数の抑制を目的とした面もあるようだが、このプランでは議員数が固定されない。これ自体が様々な問題を引きおこすだろう。

政党支援金だったり、諸々の政治家へのお金、議員経験とか、大臣ポストだったり、様々な問題が容易に想像できる。

プランを導入した際に、選挙制度が今よりもよくなるのかもしれないが、国家として大丈夫なのか?という当たり前の疑問は原稿段階で解決すべき。

 

 

最後に、1票の価値が確かになるということだが、結局これは有権者1億人の票数で国会で多数決するわけだから、結局国政に反映できるのは1億分の1票であるという本質が変化するわけでもない。もちろん合理的無知が解消されるとも考えられない。

 

 

 

 といった感じで、弁士の思考を理解するためのカギとなる単語のワードチョイスの改善と、プランの影響が弁士の想定していないところに大きな影響を及ぼすことが容易に想像できるので、その点を具体的に指摘し、弁士に対して応答案の作成や、プラン後の分析の加筆・修正を求めていく感じになるかなと。