2 私なりの弁論についての考え
弁論というものに触れてまだ1年もたっていないわけですが、自分の中に弁論というものについての考えがある程度まとまってきたのでここにも書いておきます。
何回かに分けて投稿しますが、この内容は4月の新歓が終わって新入部員が入ってきた際に「弁論とはこういうものだよ」ということを教える際の教材のもとになりますので、何か言いたいことがある方はコメントなりしてくださると助かります。
①弁論とは何か(外面)
基本は弁士の弁論時間と質疑応答時間のセット。
弁士の弁論中や質疑応答中の不規則発言(いわゆる野次)を認めている場合もあるが、認めていない場合もある。
質疑応答が認められていない場合もあるらしい。
原則は弁士の表現方法は言葉と多少の身振り手振りだが、パワーポイントといった視覚情報を最大限使用できる大会もある。
②弁論とは何か(内面)
弁論そのものの目的自体は聴衆、および審査員の説得にあるとされている。
この見解も争える部分があるが、とりあえず説得という目的において、形式として一般に2つのジャンルに分けられている。
価値弁論と政策弁論の2つですね。
この2つの区分だとかそれぞれの特徴のとらえ方というのが特に個人差があるものなので、ここについて詳しく自分の考えを書いておきます。
②-1 政策弁論
政策(提言)弁論は原稿の構成基本要素がある程度定まっていると考えています。
おおまかに言えば以下の4点を満たしたうえで、冒頭に導入、最後に締めの文章を入れる形が基本となるでしょう。
ⅰ 問題の認識 (問題が社会に存在することに認識、及びその問題の深刻さ)
ⅱ 現状分析 (認識した問題の分析。特にその根本原因)
ⅲ 解決策 (根本原因を解消する策。政策なり制度なり)
ⅳ 解決過程 (提示した策が現実をどう変えるのか。問題が解消される過程)
この4要素が抜け落ちると、途端に弁論そのものの説得力が失われます。
何がどう問題なのか、何が原因なのか、どう解決するのか、本当に解決するのか。
この疑問を持たせないために必要な要素ということになります。この4要素を満たしたうえで、さらに新規性や弁士の独自性が含まれることが高評価を得るために求められてきます。
政策弁論の特徴は、とにかく論理の一貫性と妥当性が大事です。
弁論の目的が説得であるならば、政策弁論は聴衆を「納得させて」説得する。といえるでしょう。聴衆に「理解させて」説得する、と言い換えてもよいかもしれません。
(このため、弁論中に聴衆ができるだけ考えないようにする原稿が望ましいと考えています。原稿の流れで、聴衆が弁士の論理展開に引っ掛かりを覚えないようにすることが求められる、ということです。論理が一貫していることはもちろんのこと、論理展開の過程で不必要に聴衆に考えさせることは、聴衆を論理的に説得することを阻害するおそれがあります。この具体例や方法などについてはまた別の機会にすることにします。)
②-2 価値弁論
価値弁論は基本要素となる概念をあまり見出せません。
しいて言うならば、弁士の特筆すべき体験が含まれている、ということにつきます。
価値弁論の特徴として一つ挙げらげられるのは、解決策の提示が必ずしも必要ないということです。
弁士が持つ独特の考え方や価値観といったものが特筆すべき体験に依存するために、その価値観や考え方を伝えることに重点を置くもので、体験にまつわる考え方や価値観が変わる契機となった問題を解決することを必ずしも目的としません。
また、弁士の独自の体験をもとにし、なおかつその解決を目的とするわけではないことから、その体験を一般化せず、結果としてあくまでも弁士個人の問題にとどまっていると言えます。
しかしながら、この価値弁論が一定の評価を得やすいのは、ひとえに弁論の根幹が体験にあることで、聴衆が弁士に感情移入、もとい「共感」し、弁士の技量ではない部分である程度勝手に説得されてしまうからだと考えています。
政策弁論が聴衆を「納得させて」説得するものなのに対し、価値弁論は聴衆に「共感してもらって」説得するものだと考えています。
とりあえずここまでで、次はこの2つの差についてもっと深く掘り下げてみましょうかね。